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旧北陸街道が呉羽山を越える峠を紅葉坂とよび、この峠を抱く山が明神山であり、ここから見おろす東の谷を五時谷(ごじたに)と呼んでいる。
万治年間(1650年代)富山藩士奥村蔵人が、藩祖前田利次(としつぐ)からこの谷を拝領し、甲州身延山の七面大明神と同じ型の尊像を祀ったので、この山を明神山、御堂を七面堂と呼ぶようになった。
のち二代藩主正甫(まさとし)は日蓮宗に帰依し、ここに寺を建て、武運山長久院と名づけた。
また、五代藩主利幸(としゆき)はここを藩の祈願所とし、寺領を寄進した。
当時は切石数百の道をととのえ、田毎の月のあじわいがあり、長久院から七面堂まで男坂・女坂の二道を設け、宝塔が高くそびえていた。山上の大燈炉は夜通しともされ、参詣人はひきもきらなかったといわれていた。
明治3年(1870)の合寺令で、御堂・塔とも取りこわされている。
-七面神像の辿った数奇な運命-

約350年前の万治年間(1658~1660)に、富山藩士奥村蔵人が、藩主利次公から五時谷を拝領し七面堂を建立したとの記録がある(「呉羽山」大正2年・小柴直矩著)。奥村個人の建立だったのか、藩が関わっていたのかはわからないが、百塚築城を断念して富山旧城が修築され、富山居城に定まった時と同時代であるため後者の可能性が高い。その時に、鬼門を閉じ七面を開くとされている七面大明神を、身延山から勧請したのではないかと考えられる。(「久々江村七面大明神来由記」内「五時谷の七面大明神は富城鎮護の霊神也」等)。

≪資料使用許可≫
七面宮絵図:富山市立像寺様
七面宮絵図 建物解説:職芸学院教授 上野幸夫
牛ヶ首用水絵図:牛ヶ首用水土地改良区様、富山市郷土博物館様
明神山参詣図:射水市永森神社様
呉羽山の七面堂他:富山市郷土史研究会会員 竹内淑子様






